派手さは微塵もない。

だがそれがいい。

なんの変哲もないのに
悔しいほどの滋味。

 京都に銘菓は数知れずある。茶席で出される美しい生菓子のみならず、和洋様々な菓子は妍を競い、百花繚乱のにぎわいを見せている。そんな京都で最古の菓子と伝わるのが「唐板」だ。一見すると前述した菓子とはまったく違ういでたちの煎餅菓子。なんの変哲もなければ、派手さなんて微塵もない。この菓子の凄さは、五感を研ぎ澄ますことで理解できる。

 まず、薄い一枚をかじり、耳を澄ましてほしい。パリッと心地よい乾いた音が上品に響く。微細な味わいはここからだ。くち中に広がる極ほのかな甘い小麦の風味。やがてそれはほどけるように消えていき、後味はただ澄み切って、どこまでも優しい。「ながら食べ」などしてはいけない。何が起こったのかわからない間にすべてなくなっている。素朴さと優雅さを兼ね備えた、この奥深さこそキューリである。

554年続く煎餅?!
工程に7時間?!

 唐板はそもそも、神様に供える神饌(しんせん)の煎餅に由来する。疫病が流行した平安時代、祇園祭の起源である御霊会で捧げられ、疫病除けとして京都の人々に授与されたという。応仁の乱で途絶えたその製法を復元し、1477年に創業したのが、御霊神社前に店を構える水田玉雲堂だ。

 長年、店主が生地作りを、妻が焼く工程を担い、夫婦で唐板を作ってきた。2018年に店主が病に倒れて後は、遺志を継いだ妻が、500年以上続くのれんを守る。生地の仕込みから焼き上がりまでおよそ7時間、すべての工程をただ一人でこなす。

同じ味を守る
並大抵ではない覚悟と精進

 材料も作り方も至ってシンプル。自家製の砂糖蜜、小麦粉、卵の3つを混ぜ合わせた生地を薄く伸ばし、包丁で切り分けて一枚一枚、厚さ5ミリの銅板の上でじっくりと焼き上げる。

 シンプルであるがゆえ、季節や天候によって水分量や火加減を微妙に調整しなければ、同じ味には仕上がらない。店主亡き後、試行錯誤を重ねていた時は、焼き上がる唐板を間近で見続けて、銅板の熱で目が真っ赤に腫れ上がったこともあったという。伝統を受け継ぐ妻の覚悟は、並大抵ではない。

 同じ材料で、同じ味に仕上げる。ただそれだけを願い、のれんを背負って血のにじむような精進をする。これは五感を研ぎ澄まして食べねばならない菓子だ。


水田玉雲堂 
京都市上京区上御霊前町394
http://gyokuundo.com/

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